生誕150年 横山大観展

MENU

大観を語る

  • 中村獅童さん(歌舞伎役者)
  • 海部宣男さん(国立天文台名誉教授)
  • 込山榛香さん(AKB48 チームK)
  • 松井冬子さん(画家)
  • 横山隆さん(横山大観記念館館長)
  • 東京展担当学芸員が語る大観の魅力
  • 相関図

中村獅童さん(歌舞伎役者)

伝統の中に新しさ

中村獅童さん

音声ガイドでナビゲーター役を務めていますが、大観の「型から入って型をてよ」という言葉に感銘を受けました。歌舞伎でも型を習得し、それを崩すことで自分のやり方が生まれます。他の芸術でもそうですが、型を習得すれば表現の幅が広がります。歌舞伎役者として生きる上で大切にしたい言葉です。

以前、映画「天心」で、大観役を演じたことから思うに、彼は情熱的な人だったのではないでしょうか。日本画という伝統の中で新しいことに取り組む姿勢にも感じるところがありました。私も伝統を守りつつ、若い人にも受け入れられる作品づくりに挑戦しているため、芸術との向き合い方に共感しました。

群青富士

《群青富士》 (右隻)1917(大正6)年頃 静岡県立美術館蔵 7/3-7/22展示

松井冬子さん(画家)

たっぷりした人間性

松井冬子さん

今年、東京・新宿瑠璃光院で完成したふすま絵「生々流転」を披露しました。2014年に着手し、この間、アトリエに「大観超え」と書いた紙を張って制作に励んでいました。多くの人に受け入れられるような作品を描く時が来たと覚悟を決めたのですが、日本の画家でメインストリームとは、と考えたとき、すぐ浮かんだのが大観でした。巨匠を超えるくらいの決意であたらねばならないと。

大観の何がすばらしいかというと、本人のたっぷりとした人間性が作品からにじみ出ているところです。だからこそ、多くの人の共感を得るんですね。大観は高価な墨を使っていたと言われるので、墨の色を間近で見るのも楽しみですね。

生々流転

《生々流転》(部分)1923(大正12)年 東京国立近代美術館蔵 重要文化財
巻き替えあり

東京展担当学芸員が語る大観の魅力

大観の奇想天外ぶりに注目!

生涯の師、岡倉天心は大観についてこのように述べています。

「奇想天外より落ち、毎回人を驚かすものハ横山大観の作なり。『屈原』一たび出でゝより、高邁雄偉の新思想を画界に紹介したるもの、恐らくハ大観の右に出づる者なかるべし」。

新しい日本画を生み出そうとする大観の気概や生来の好奇心があふれていたんでしょうね。現存する作品から分かる以上に、当時大観はさまざまな主題と表現に柔軟に取り組んでいたのは本当です。

大観の柔軟さは、実際に眼にしたものをすぐさま主題として取り込んでしまう点にも表れています。例えば、明治36(1903)年にインドへ渡った大観は、帰国後《白衣観音》や《流燈》といった大作にインドでの印象を表現しています。一緒に旅行した菱田春草がインド風の主題を小品にしか描いていないことを思えば、大観がいかに積極的に見てきたものを表現しようとしていたかがわかります。

また、アメリカと中国で見物した名所を対の屏風にした《瀑布(ナイヤガラの滝・万里の長城)》や、1910年に地球に接近したハレー彗星を描いた《彗星》も、大観の主題選択の柔軟さを物語っています。

本展では、明治時代の作品も多く展示しているので、大観の他と違う着想や表現をお楽しみいただきたいと思っています。

大観と天心、春草らとの関係はこちらの相関図をご覧ください。

《彗星》 1912(明治45)年頃 絹本墨画 個人蔵 6/8〜7/1展示

白衣観音びゃくえかんのん 1908(明治41)年 絹本彩色 個人蔵 

個人的な一押し作品《霊峰十趣》

《霊峰十趣のうち 春》
1920(大正9)年頃 絹本彩色
6/8〜7/1展示

《霊峰十趣》は10点組みで、かつては個人がまとめて所蔵していたのですが、その後、1点1点バラバラになってしまい、現在となっては行方が分からない作品もあります。本展ではそのうちの4点<春・秋・夜・山>が揃って展示されるので大変貴重な機会です。お見逃しなく!

特に《霊峰十趣のうち 春》は金泥を塗った地に浮かぶ白い富士がマンゴーソースの中のパンナコッタそのもの。大観が描いた富士山の中では最も抽象化されていて、単純化が極まっています。昭和に大観が描いた富士山からは想像できない造形感覚をお楽しみいただけると思います。

大観が描くかわいい動物たち

大観が描く動物はとても不思議なポーズをとっていることが多いです(笑)。首が直角にゆがんでいたり、とてつもなく身体がゆがんでいたり、目がすごく離れていたり…。ただそれが魅力でもあってどれもグッズにしたくなるかわいさです。なかでも《胡蝶花》の「こんにちはー」という感じのイタチや、《山茶花と栗鼠》のもぐもぐタイムのリスのかわいさは抜群です。

《胡蝶花》 大正10(1921)年 絹本彩色 株式会社常陽銀行蔵 7/3〜7/22展示 

相関図
相関図

岡倉 天心大観の師

明治31年、美術学校事件により東京美術学校を追われる。
在野に日本美術院を創設。大観は天心に従って辞職。
天心が大観をつくったと言っても過言ではない。
大観は天心から東洋を基盤とする理想主義を学ぶ。
大観は生涯、天心に対して深い畏敬の念を抱いていた。

菱田 春草日本画家

大観よりも6つ下、美術学校の1年後輩だが無二の親友。
若い頃一緒に古画の模写をする。
朦朧体に共に取り組む。
冷静な理論家。
明治38(1905)年、大観と連名で「絵画について」という論文を発表
明治36(1903)年、大観と共にインドへ
明治37(1904)年、天心の誘いもあり、大観と共に渡米

下村 観山日本画家

同輩
「親の無い後は兄弟です。罷めましょう」と言って文展の審査員をやめて新興日本美術院の同人に

木村 武山日本画家

明治43(1910)年大観と中国へ。
新興日本美術院の同人

夏目 漱石小説家

朝日新聞で大観の「瀟湘八景」を評じる。
大観の1年先輩で、お互いの家を行き来する仲。
大観は漱石を敬愛していた。

芥川 龍之介小説家

交流があった。

泉 鏡花小説家

鏡花の羽織の裏に大観が絵を描いたことがある。

吉川 英治小説家

大正時代の終わり頃からの親交。
大観は英治の「宮本武蔵」の大ファン。

谷崎 潤一郎小説家

「麒麟」に挿絵を描く。

原 富太郎(原 三渓)実業家

もともと天心と交流があった。
大観や他の日本美術院の画家の作品を購入するなどして支援。
大観は1ヶ月ほど原邸に滞在して《柳蔭》を制作。

細川 護立政治家 日本の近代美術を支えたコレクター 永青文庫の設立者

大観の作品をしばしば購入。
大観のよき理解者で長年の親友。

高田 早苗政治家 早稲田大学初代総長

日本美術院賛助員。
大観と親交。
大観と下村観山に図書館に飾る絵の制作を依頼。大観は《明暗》を描く。

大倉 喜七郎実業家 大倉財閥2代目総帥

ローマ日本美術展覧会開催に尽力。
大観の代表作《夜桜》はこのローマでの展覧会のために描き下ろされた。

双葉山第35代横綱

互いの家を訪問する仲。

六代目尾上菊五郎歌舞伎役者

深い交流。
しばし喧嘩もするがすぐ仲直り。
昭和8年の公演の衣装を大観が描いたことも。

宮内 市松筆匠

得應軒二代目
大観の筆を一手に引き受ける。
大観と気が合う。

寺内 新太郎表具師

関東大震災の際に大観とともに「生々流転」を避難させたという話も。
大観は新太郎を息子同然に可愛がっていた。
大観のアシスタント的存在。
「生々流転」の絹地を張る。

竹内 栖鳳日本画家

大観が京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)で予備科の教員をしていた時の同僚。大観は模写に忙しく、生徒の世話を栖鳳にっすっかり任せっきりにしていた。
犬猿の仲とも言われていたが、栖鳳の訃報を聞き真っ先に自宅に駆けつけた。

山岡 米華日本画家

明治43(1910)年大観と中国へ。
大観と対立

橋本 雅邦日本画家

大観が東京美術学校で学んでいた時の主任教授。
大観のことを目をかけていた。
美術学校騒動では大観たちと共に辞職。
日本美術院創立メンバー

六角 紫水漆工芸家

明治37年大観、春草と共にアメリカに行く。
日本美術院の創立メンバー

寺崎 広業日本画家

明治43(1910)年大観と中国へ。

西郷 孤月日本画家

東京美術学校を共に辞職。
大観とともに帝室博物館嘱託として模写に従事する。
相関図